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🔒07.逆転する現実と解釈

地上の生き物は「現在の人間」をそのまま映し出す
惑星のパラダイムシフトが起こると(つまりは、「あなた」のパラダイムシフトが起こると)、宇宙観がそっくり変わるので、細部も変わってしまいます。同じ物事を見ても、見え方、感じ方が、ガラリと変わってきます。その過渡期にある人は、とても多いように感じます。
一昨日のEテレのサイエンスZEROは、「生き物は天敵から逃げることで命をつないできた」というテーマでした。究極の逃げ技「死んだふり」をする生き物たちを、テレビでは、今までの視点とは違った解説をしていました。
たとえば「蛇に睨まれた蛙」ということわざがありますが、番組は、この「蛇に睨まれている蛙」状態そのものを研究した内容でした。(=朝日新聞デジタルの関連記事)
このことわざの意味は、ご存知のように「恐怖で身がすくんで動けない様子」のこと。しかし、研究の結果は、単に恐怖で身がすくんでいるわけではなく、生き物の(生き残りの)戦略として動かない、死んだふりをすることを突き止め、実証をしていました。
これは、同じものを見ても、時代が進めば(研究が進み、明らかにされ)解釈は変わるということですね。
ただ、私は、これらの研究と解釈・解答というのは、その「時代」の精神性のようなものをを、顕著に反映していると思うのです。つまり「そんなふうに見える」というものを、ただ見ているということではないでしょうか。
蛇に睨まれた蛙は、本当に恐怖しているか?
前述の点を踏まえ、「蛇に睨まれた蛙」について考察すると、ひと昔前まで(≒パラダイムシフト以前)は、強い者を前にすると、恐れ、身をすくめるしかない時代が垣間見える心地がしませんか?蛇を見て動かない蛙を見て、「蛇に睨まれた蛙」ということわざが生み出されたのは、そういう人間の在り方、心境が現れていたのではないでしょうか。
有名な人物で例えると、織田信長を前にした秀吉をはじめとする武将たち。有無を言わせぬ威圧感のある信長を前にしたとき、たいていの剛健な武将すらイエスマンになってしまう。圧倒的な強さとカリスマ性のある指導者が、暴力による恐怖政治を行う乱世は、当時、どこの国でもありましたよね。その頃は、恐れと疑心暗鬼が、地上を渦巻いていたのではないでしょうか。
その世界観の中では「その他大勢」は、カリスマを前に、どのようなパワハラでも恐怖で立ちすくむしかなかった。
だからこそ生まれた、「蛇に睨まれた蛙」ということわざ。
しかし、パラダイムシフトを通過中の現代は、同じ「蛇と蛙」の関係性を、全く違った角度から、人は「見る」ようになってきました。蛙は、ただ恐怖から自動的に動けないだけではないということ。戦略としての保身。動けないというより、動かないのだと。これって、もう、現代人そのものに思えます。笑
ただ、この時の蛇と蛙は、あくまでも「パラダイムシフト通過中」の見え方だと、私には思えます。要は「動かない」戦略も、結局のところ、動機は恐怖・恐れからだからです。恐怖から自動的、発作的に固まってしまうか、あえて固まるのか という大きな差はありますが、恐怖は恐怖ですよね。
ということは、パラダイムシフトをしちゃったあとの世界観、宇宙観の中では、蛇と蛙の関係は、まるで違った風に見えてくる可能性があります。03号でお話ししたような、今まで、考えたこともなかったような宇宙観で、蛇と蛙を見るようになったと考えてみてください。
「怖い」の発想の外に出るために
蛇を前に、動かない蛙。そして、飛び掛かられてギリギリセーフで逃げ切った蛙ーー。サイエンスZEROでは、そんな2種の生き物を検証していました。研究と検証の結果、「まさにそのように」見えました。
私たち人間は、捕食されるかもしれないーーという可能性を「恐怖」として見ます。もう、そうとしか見えませんよね。捕まえられて、生きたまま食べられるなんて……。もう、当たり前に恐怖です。しかし、しかし、です。この当たり前と思っているものを分解していきましょう……
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